自分自身が観点を持っている、ということに気づかなければ、人生はどうなってしまうでしょうか?
それに気づく為のある例え話があります。
ご飯中には読まないでほしい話ですが・・・
ハエが、ウンチにたかっているところを想像してください。
ハエは、目の前のウンチにだけ関心がある。
人間からしたら、「ヤダ!臭ーい!!汚い!!」と思うウンチも、ハエからしたら美味しいご飯。香しい匂いです。
ハエは目の前のウンチに夢中。
そして、そのハエの少し離れたところには、ハエを狙っている、カエルがいます。
カエルはハエを食べようと、ジッとハエの動きを目で追っています。でも、ハエはちっとも気づかない。
そして、そのカエルがいる場所の上空には、鷹がいます。
鷹はカエルを狙っています。肉好きがよいカエルは、鷹の美味しい晩御飯。
地上には、その鷹をじっと狙ってまさに今弓を引こうとしている人間がいます。
人間はじっと鷹の動きを追っています。
そして、その人間の中には、弓を引いている腕の角度、体の方向性を観察している人間の意識があります。
その人間の意識を、人間の無意識が観察しています。
そうやって、どんどん視点をバックさせていくと、人間の意識、無意識を観察している、何かがあります。
話はこれで終わりです。
どうでしたか?
あなたは、自分をどこから観察していますか?
自分を客観的に観察できなかったとしたら、人生はどうなってしまいそうでしょうか?
ウンチに群がるハエ。
ハエからみたら、ウンチは美味しいご飯。ハエはウンチにしか関心がない。
目の前のものに群がる人間。
人間は自分にとって、美味しいご飯だと思っているものにしか関心がない。
自分が何かに関心がある時、それに関心を持っている自分の根本はいったい何でしょう?
その根本を観ることなく、人生を送ったら、あなたの人生はどうなっていきそうでしょうか?
全ての自分の関心、感情、考えを生み出している観点。
それを客観的に観ることができる状態で人生を送るのと、自分が観点のことを知らない状態で送る人生はどっちがよいでしょうか?
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