「問題解決したい」と思っている限り、問題が絶対に解決されない理由

 

「問題解決ができる人間になりたい」

私はずっとそう思って生きてきた。

 

でもね、気づいたんです。

私がそう思う限り、私は生きるために問題を必要とすることを。

 

だから、私が観ている世界で問題は終わらない。

 

私が問題解決をしたいが為に、問題視しなくていいことを問題視して、私が問題を創りだすから。

自分で創りだした問題を解決することに情熱を燃やし、

それに取り組まない人を批判し、

問題解決が出来ている自分、人の役に立てている自分が確認できる時は、自分の存在意義を感じる。

問題解決が出来ない時は、「なんて無力な自分なのか」と自分を責める。落ち込む。

 

相手も私といると居こごちが悪かったんだろうなと、今は振り返って思う。

私は相手に役にたちたいあまり、無意識で相手の困っているところをなんとか探し出して、その解決に役立つ自分であろうとする。

だから、相手を本当の尊厳そのもので観れない。

相手を私が助けなければいけないかわいそうな人として私が観てしまう。

 

被害者意識が強くて、自分がかまってもらうことで自分の存在意味を感じる人とは、ちょうどいいペア。

でも、そうでない人は、居心地本当に悪かっただろうな~(笑

ごめんなさい。

そして、自分がかまってもらうことで存在意義を感じる人にとっても、私の接し方が本当に良かったのだろうか?と言えば、それは違う。

相手のEGOを満足させるだけ。

それが必要な時もあるけれど、相手を本当の尊厳で観た時には、相手がそこを卒業していけるタイミングを観る事ができる。

自分が自分の存在感を満たす為に人を道具に使うような出会い方はもう辞めよう。

自分も相手も、そんな小さな弱い存在ではない。

条件によって自分を満たすことは辞めよう。

無条件、今ここしあわせ、感動、喚起を感じること。

問題解決ではなく、問題一掃の生き方。

問題が問題でなくなる次元に自分の心を置くこと。

それが、本当の意味での問題解決の第一歩だ。







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