このことをするのが中長期的にみたらめちゃめちゃ大事だとわかっているのに、目の前のことに追われてしまって、一番大事なことに全然着手できない。

忙しい・・・・

忙しい・・・・

焦り・・・・・

 

今朝まで、そんな状態だった私を、見かねた同僚が投げかけてくれた一言。

 

「変えられないものを、変えようとしてるでしょ。だから忙しくなるんだよ」

 

はじめは「はて??」だったのですが、よくよく聞いてみたら、

まさに!!!!!!

ああああああああああああ

私、今までの人生でいつもこれを繰り返してきたから忙しくて焦ってたのね・・・・

よーーーーーーくわかりました。

最近忙しかったのは、あるプロジェクトに途中から合流してみたら、期限があるやらないといけないことを誰も責任持ってやってなくて、困っていることを相手に伝えたけど全然改善されなかったから、つい、「私がそれ何とかしなきゃ!」と思ってやっていたから。

でも、果たしてそれで本当によかったのか?

そもそも、もともといたメンバーに対し、改善してくれない、となぜ自分は決め付けてしまったのか?

ただ自分が困っていることを一方的にぶつけるのではなく、相手と自分に観えている世界は全く違うんだということを理解して、相手の立場にたって、相手がそのプロジェクトを動かすような考えがスタートするような質問や投げかけをしたのか?

自分がそんなコミュニケーションをしないままで、相手は気づける人なのに、勝手に相手を「やってくれない人」と決め付けて、可能性を奪う。

変わらない相手だと、私が相手を物質的に決めつけてみて、相手の心、意識、可能性を観ない。

そうやって勝手に自分で自分を忙しくさせて、本当にやるべきことをやらない言い訳に「私は誰もやってくれなかったからこっちのプロジェクトをやらないといけなかったから」と言い訳する。

やるべきことができてない罪悪感を溜めながら。

ごめんね。みんな。

そして、投げかけをしてくれた同僚に感謝。

振り返ってみれば、これも観点の問題。

自分や相手に観点があることを非認知。気づかない。

自分が自分の観点で相手を観ている事に気づかない。それが動かせることにも気づかない。相手にも観点があり、それが動かしうるものであることも非認知なまま、存在そのものを否定する。

自分がいかに物質的に人を観ているのか、を思い知ったし

人間が今まで私と同じことをしてきたから、観点が違うバラバラな人達に対して、観点を動かして問題を解決することをせず、ルールや規則を決めて強制的にやらせるようにして問題解決をしようとしてきたんだろうな、っていう人間が繰り返してきたこととも繋がって、理解がおちました。

変えられないものを変えようとしても無理。時間がかかる。無駄が生まれる。忙しくなる。しかも変わらない。変わった様に見えても、本質的な問題解決になってないから、他のところでそのひづみが出る。

変えられるものを変えよう。

それは自分の観方次第なんだ。

 

自由を得た感じがした今日の気づきでした。

 

 

 







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