観点の問題① 認知・非認知

観点の問題① 認知・非認知

 

観点とは、自分が無意識、無自覚のうちにかけている眼鏡のようなものです。

この眼鏡は、誰もがかけています。

そして、いつもいつも、今この瞬間も、私たちは眼鏡(観点)を通して自分やこの世界全てを認識しています。

つまり、今、あなたの目の前に広がる世界全ては、あなたの眼鏡(観点)というフィルタを通過した後の世界です。

今、このブログをあなたが読んでいるこの瞬間にも、あなたは自分の観点を使っているのです。

 

ただ、観点は目に見えないし、聞こえるわけでも触れるわけでもありません。

なので私たちは、自分が観点を持っている、今この瞬間も使っている、ということをなかなか認知できません。

その結果、自分や相手の考え、感情、表情、言葉、行動はあくまで観点の解析の結果であるにも関わらず、私たちは自分の考え感情や行動を振り返って、自分の存在そのものを悪いと思ってしまい自己否定します。

また、相手の考え、感情、表情、言葉、行動相手の観点の解析の結果であるにも関わらず、相手の存在全てを否定してしまいます。本当は相手の観点を変えるべく働きかけたらいいだけなのに、相手がなぜその観点を持つようになったのかの背景に全く関心を寄せることもなく、「あの人がこうだから」と相手を決めつけて責めるのです。

これが大きくなったのが、戦争となります。共産主義と自由主義の争いや、キリスト教徒とイスラム教徒などの宗教戦争も、観点の非認知が引き起こしている事なのです。

 

では、観点を認知すれば問題は解決するのでしょうか?

 

観点を認知することができれば、自分や相手の考え、感情、表情、言葉、行動の原因を自覚に目を向ける事ができるので、自分や相手そのものを否定することはなくなり、随分心は穏やかになります。

ただ、観点が有る事を認知したとしても、それを変える事まではまだ出来ないので、観点の問題を解決することはできず、まだ問題は解決しません。

 

いったいこの問題、どうすればよいのでしょうか?

 







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