個人主義 VS. 共同体主義

◆「映画ジョーカーがリアルな時代」

昨年2021年は、ショッキングな事件が日本でも頻発し、治安の悪化を感じている人が増えています。

昨年、東京の小田急線で、8月6日に男が包丁で10人を重軽傷にあわせた無差別切り付け事件が起こりました。さらにハロウィンとなる10月31日には、京王線で男がジョーカーを装い、無差別に乗客を切りつけ火を放つ火災事件があり、18人が重軽傷を負いました。
また、12月17日には、大阪・北新地で少なくとも25人が死亡するビル放火事件が起きています。

小田急線の事件の容疑者は、「人を殺して死刑になりたかった」と語ります。

あなたはこれらの事件がなぜ起きていると思いますか?

◆「秩序のつくり方の限界」

これは、個人主義の中で財力で秩序をつくってきた私たちの秩序の作り方のスタイルの限界により起きている問題です。

私たちの人間が本質的にずっと悩んできた課題、それは、「一人一人の判断基準、観点がバラバラな中、それをどのようにまとめるか?」ということ。
それをまとめる為に、王様の時代は、王の判断基準、観点1つを採用し、無理やり暴力でそれ以外の判断基準をまとめる全体主義でした。王様以外は王の奴隷で、引っ越しの自由、結婚の自由もなく、重税に人々は苦しめられました。

そこに反発してフランス革命がおこり、今は一人一人の判断基準を大事にする個人主義。観点が無限大の時代。ただ、それでは人をまとめられないので、生産手段をもった資本家が財力で判断基準をまとめています。一見、王様の時代より個人は自由になったかのように見えますが、実質は、一部の生産手段を持った人達にお金で自分の時間を切り売りし、「お金をもらうために、その時間は私はあなた(資本家)の指示した考え、感情、行動します」と我慢して合わせて演じて秩序を創っている状態です。
ただ、今は、もうその秩序の作り方に我慢ができなくなって、不平不満、怒りが爆破。それが今の多様な事件を生んでいます。

いったいこの問題をどのように解決していったらいいのでしょうか?

◆「日本がやってきたこと」

ここでキーワードとなるのが「和」の概念です。

聖徳太子は「和をもって貴しとなし。人間みな、黨(たむら)あり」といい、私たち人間が「黨」がある限り人と人が調和する和を創りだすことは不可能であること、和のキーワードは「黨の克服」であることを説きました。聖徳太子の解析をしている人の中では、「人には皆、仲間、集団をつくろうとする心があり、そのせいで争いが絶えない。またそのことをよく理解している人は少ない」と解析していたり、「無明無知」のことを「黨」といったりしています。また
現代の常用漢字では「黨」を「党」と現わし、「仲間・集団」という意味で使います。私たち人間は仲間や集団をつくることで様々なことを成し遂げてきました。しかし、そのことは同時に、自分たちと自分たち以外のグループにわけて、仲間以上に多くの敵をうみだしていることでもあり、自己の正当化や排他的な対立をつくってしまう結果にもなります。

この人間が仲間(「黨」)をつくりたいという心そのものが、「所属欲求」の産物であり、5感覚脳の錯覚現象に支配されている欲求の奴隷になるという「無明無知」につながるのです。
聖徳太子は、「黨」が生み出す問題を理解することの重要性に気づき、「黨」の克服を重要視しました。

また、日本は、世界で人種という「黨」によって、白人至上主義扇動の人種差別が酷かった時代に、「人種差別撤廃」を主張し、世界と闘いました。

しかし、今の世界が和でまとまっているのか?というと、世界も日本もそことは程遠い状態にあります。
個人主義による孤独があふれ、その解決の糸口が見えない今、黨の克服が急務です。

私自身、世界33か国をまわり、多くの世界の人たちを触れる中で、多様性のすばらしさと同時に、まったく違うバックグラウンドを持った人たちが融合することの難しさに直面することが多くあり、黨の問題を解決することがいかに不可能であるかを思い知らさせ絶望していました。

しかし、私は絶望の末、日本に戻ってきた時に、ある人との衝撃的な出会いをしました。
その人は、韓国出身のNoh Jesu氏。

彼は、私たち人間を悩ませる黨の問題点の根本的な要素を掘り下げていけば、最先端物理学である対称性の世界から解決策をえることができると説き、
宇宙の作動原理、意識の作動原理、コンピューターの作動原理をたった一つの数式で説明し、黨をゼロ化させる技術を開発していました。

その感動は言い尽くせるものではありませんが、
今でもそれを知った時の胸の震えは忘れられません。

彼の発見発明、そしてそこから生み出された技術によって、私たち人間がずっと苦しんできた本質的問題を突破し、すべての問題が解決していくこと確信し、私は彼と共に、彼の開発した「認識技術(n-Tech)」の研究開発、普及にのりだしました。

◆「私たち日本の仕事」


今からは、この認識技術(n-Tech)を使える人の量産によって、私たちは人類700万年間ずっと悩み続けた観点の問題を終わりにさせることができます。暴力、財力で、我慢しながら秩序を創る時代が終わります。
個人主義の時代が終わり、共同体主義の時代がはじまります。

それは、観点が∞でも、それを一つ残らずゼロかすることができ、その人たちが宇宙のロゴスをわかってチームプレーを楽しむ時代。
自分の観点に執着せず、他人の観点を受け入れ、融合する美学を追求する時代です。

◆「令和」の時代

日本は「令和」という元号(Beautiful Hearmony)を発表しました。それは、すべての存在が調和した美しい状態。

詳しくは話し出すとセミナーになってしまうので、ここでは語り切れませんが、興味を持った方は、Noh Jesu氏が開催するマスター1デイセミナーを体験してもらえたらと思います。
すべての人に知ってもらいたい内容です。







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