~こころをどこに置くのか?~

私には、誰になんと言われようとも成し遂げたいことがあった。

でも、目の前のことに追われ、いつのまにか小さな自分を選択し、自分の意志をかき消してしまっていた。

まわりの負担になってしまっている自分、迷惑かけちゃう自分だと自分を無意識に決めつけ、いつのまにか、そのダメダメな自分を払拭することだけに必死になり、周りがみえなくなる。

自分が何のポジションをやるべきなのかを見失う。

機械的条件反射で動く感情。

周りの期待に応えられないのではないかという不安、焦り。

その不安恐怖を隠しながら、なんとか頑張ろうとするけど、うまくいかない。

かなしい。

無気力。

やるせない。

けど、その状態でまた何とかしようとする。

ハッと我にかえることが出来たのは、
ある人がそんな私のこころの状態をみて、無限ループを明確にSTOPさせてくれたから。

「あなたの今のこころの状態では難しいよ」と。

目を覚まさせてくれた。

今ここ身体の目でみたら、自分があって、プロジェクトがあって、やらねばならないことの期日がある。

時間があって、空間があって、存在がバッチリある。

しかし、それは本当に実在するのか?

私たち人間の5感覚と脳は、物事を正しく観察できる機能にはなっていない。

目の前に広がる現実は、5感覚と脳の情報処理の結果体。

実在しない錯覚現実。

ありもしない錯覚現実を存在させ、
その現実からの刺激に自分のこころが条件反射する状態で、何をどう頑張ってもうまくいくはずがない。

考える主体は自分ではなく、言語アルゴリズムのエネルギーなのにも関わらず、
自分の考えの中
感情の中
この自分の身体という存在の中
時空間の中
エネルギーの中に

自分のこころがあれば、限界がうまれるのは当たり前。

自分のこころをどこに置くのか?

考えの外
感情の外
時空間の外、存在の外
エネルギーの外
宇宙の外
観点の外

すべてを生み出すところ

そこにこころを置かない限り、意志決定することも、不動心を得ることも、自分の考え感情をコントロールすることも、人を結集させることも難しい。

自分のこころをどこに置くのか?







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